2017年2月17日金曜日

零戦を思う

最近、タミヤ 1/32 零戦 52型リアルサウンドアクションセットを製作しました!






このギミックが凄い

零戦の模型を作ると色々な思いが浮かんできます。

子供の頃は何も思わずに作っていましたが
僅か2世代前(私の祖父くらいの人)に日本の若者が、この飛行機で命を懸けて戦った。
己の信じる正義の為に。
勿論、敵だって生身の人間です。

それを忘れてはいけないでしょう。



しかし、私は”永遠の0”を観て
涙するほど無邪気ではありません。

だからといって”サヨク”の方のように
大東亜戦争を”悪”だと一刀両断するつもりはない。

戦争というのは外交手段です。
ネトウヨのように戦争を美化するつもりはない。

戦争には一般大衆に知らされない裏がある。




今回、零戦のプラモデルを作るにあたって零戦の資料を調べました。

零戦というのは知れば知るほどすごい戦闘機です。
当時は飛行機は列強諸国しか持っていません。

アジアで戦闘機を作れたのは日本だけです。

日本は当時は新興国で貧しく資源もないし、
重工業については列強諸国に比べて遅れているわけです。

そこを創意工夫と地道な努力で列強諸国の戦闘機を圧倒する戦闘機を作り上げたのです。

私は、これは日本人の地味な”農民気質”職人気質”が作り上げたものだと考えております。


そして、大戦末期の特攻隊
戦後民主主義の中で特攻隊を悪く言いますが、私はそれはどうかと思います。

これは、私の持論なのですが

日本人には人権という概念はない。
そもそも”個”という概念がない。
ないというと言い過ぎかもしれないが
個人個人が神と契約しているユダヤ教徒・キリスト教徒等のように強い自我はない。

一族郎党単位で物を考えている。
だから、欧米人と違い姓が先にきて、名があとになる。
更に、昔は名など元服したり役職が変われば変わっていた。

私たち現代人は個人を殊更重く考えるが
”個人”というのは情報の上に成り立っているだけである。



それに人権などなくても共同体が個を守っていた。
そして、個体は時として共同体を守る為に命を投げ出す。

欧米人に言わせればアリンコのように下等だと笑うかもしれない。

笑いたい奴には笑わせておけばいい。

私は、平家物語の”忠度の都落ち”のくだりが好きだ



朝敵となり都落ちしていく平 忠度が藤原俊成卿のところへやって来る。



公家である俊成は
朝敵となってしまった平氏の人間に会う訳にはいかないが
忠度なら大丈夫と会う。

忠度は平氏が朝敵にされてしまったことを不満に思うような素振りをみせるでもなく
自分の歌の師であった俊成に歌を託していく。ただ、それだけ。
もう思い残すことはありません。

忠度は清盛と違い
あまり資料は残っていないようなので詳しくわかりませんが
平氏が隆盛を極めた時でも
それほど贅沢をしたわけでもないと思います。

ただ歌を愛でて俊成に師事して、それで満足だった。
そして、最後の歌も師匠に託した。

現代人のような個などいう概念はないように思われます。

ここには日本人の美学がある。

私たち現代の日本人は経済学や拝金主義に思考を汚染されて
”セレブ”とか言われるハリウッドスター(河原乞食)の真似事をして、
高額な車・家・旅行・装飾品を消費しまくるのが素晴らしいと思い込んでいる。

このまま、その思考を続けて農民気質・職人気質・美学を軽んじていたら
日本という国はなくなってしまうだろう。

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